2009年09月11日

ヨハン早稲田教会婦人会の証2

この場で証しができる恵みを主に感謝します。私は沖縄で生まれ育ち、まだ沖縄にいた二十歳の学生の頃、友人に誘われて教会に行くようになりました。御言葉より、イエスは言われた「わたしは道であり、真理であり、命である。わたしを通らなければ、だれも父のもとに行くことができない。(ヨハネによる福音書14章6節。)聖書の言葉を何度か聞いているうちに、イエス様だけが救い主であるということを確信し、イエス様を救い主と信じ受洗しました。救われて数年は喜びにあふれ信仰していましたが、出産、子育てをしていくうちに、救いの喜びがうすれマンネリ化した信仰生活を送っていました。
主人の会社の転勤で沖縄から東京に引っ越してきて2006年11月にこの教会に導かれました。今まで通っていた沖縄の教会では聖書勉強などもあまりなく、礼拝を捧げたらすぐに帰るような生活を何年もしていました。しかし、少しづつ、婦人会の礼拝や、聖書勉強、サマーキャンプ等で御言葉にふれるうちに主のために何かしたいという思いが強くなっていきました。主人の東京での仕事は2年間ということで決まっていて、2年がたつと沖縄に戻らなければならなかったのですが、マタイによる福音書28章19節『だからあなたがたは行って、すべての民をわたしの弟子にしなさい。』という御言葉により、東京に残ってもっと信仰が強くなり主のために一人でも多くの魂を救いに導きたいという思いが与えられました。恵みにより、主なる神様が東京に残る道を与えてくださったことに感謝します。
 また私には小学生2人、幼稚園児1人と3人の娘がいて、主日学校に通っています。以前から、子供たちに祈ってあげたりなどはしていましたが、もっと子供たちも家庭で御言葉にふれることが大切と感じ、7月から、子供たちと主を賛美し、聖書を読み、祈る時間をできるだけ多くもつように心がけました。8月のコスタでの恵みも重なり、家では賛美があふれ、家庭の霊的雰囲気もよくなっていく印象を受け、子供たち自ら「洗礼をうけたい。」というようになりました。主日学校の先生方のために一緒に祈ったところ、先生方への尊敬心がさらに増し、親の言うことも素直に従順するようになりました。また娘も積極的に伝道するようになりました。私も子供たちに聖書を教えながら恵まれ、神様のすばらしさを改めて感じました。9月になり、子供たちの学校が始まりましたが、継続して子供たちと聖書を読んでいきたいと思います。
 家庭まるごと主に仕え主に喜ばれる家庭となることが私の願いですが、まず自分自身が恵まれ成長し霊性あふれるものとなれるように祈っていきたいと思います。また、婦人達の救いのために学んだことを実践していくよう頑張っていきたいと思います。すべての栄光を主なる神様にお返しします。これで証しを終わります。ありがとうございました。
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2009年07月14日

大切なもの



比べるよりは自分を愛して
主を信じて
孤独な人をつつんであげられる
心の中、大切な者秘めて生きよう
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2009年06月23日

ジョイフルジョイフル



ジョイフルジョイフル(Joyful, joyful)は、著名な賛美歌のひとつ。ルートヴィヒ・ヴァン・ベートーヴェンの交響曲第9番の第4楽章の主題旋律にHenry van Dykeが1907年に新たな歌詞(英語)を付けたもの。映画「天使にラブ・ソングを2」には、この曲と、この曲が編曲されたものが使われている。Wikipediaより。
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2009年06月22日

ヨハン早稲田教会婦人会の証

多くの愛する兄弟姉妹の前で、証しをし、恵みを分かち合える、機会を与えて下さった主に感謝致します。

私が初めて教会に参りましたのは、クリスチャンになる為ではなく、牧師先生にお会いしたく参りました。ある日突然、教会へ通い始めた主人が、沢山の本を熱心に読んでいました。それを見て、私も興味を持ち読み始めたのですが。その中に、牧師先生の書かれた、「主は荒れ野で働かれる」という本が有りました。その本を読んだ私は、大変心打たれ、牧師先生にお会いしたいという衝動に駆られ、主人に頼み、教会に来たのです。

教会で牧師先生のメッセージを聞き、自分がこれまで、どれだけ隣人を裁いていたのか、そしてどれだけ高慢だったのか、と言う自分の罪性を悟る恵みがあり、これがきっかけで、2006年7月に洗礼を受け、救われました。でも私は、教会で、兄弟姉妹がよく口にしている、「恵まれました」という言葉を聞くたびに、恵まれたというのは一体どんな事なのだろうと思っていました。また、聖霊様の満たしとは何なのか、わからないまま教会に通っていました。教会の中では当たり前のように使われていますので、どうしても聞く事が出来ませんでした。

そんな時、受洗前に一度受講させて頂いた事のある「平信徒を目覚めさせよう」という勉強会が再び有る事を知り、参加させて頂きました。2006年11月の事でした。その勉強会の3日目に、私は不思議な体験を致しました。御言葉を学んでいる最中、突然、誰かに後ろから、ふわっと優しく抱きしめられたような感覚を受けたのです。暖かい温もりまで、はっきりと感じ取る事が出来ました。もちろん、その方は主人では有りませんでした。私は、初めて、御言葉による恵みと、聖霊様の満たしを体感する恵みが有ったのだと思いました。それからは、毎回欠かさず受講していますが、私たちを救う為、罪の全くないイエス様が、私達の罪を全て引き受け死んで下さった恵みに、今回も涙が出るほど感謝しました。又、先生方の口を通して、解き明かされる、御言葉の、一つ一つが、高慢な、私にとっては、胸に、突き刺さる思いが、致しました。

「舌は小さな器官ですが、大言壮語するのです。御覧なさい。どんなに小さな火でも大きい森を燃やしてしまう。」ヤコブの手紙3章5節。 アーメン。
体の中で最も小さい器官で有りながら、舌は人の運命をも変えてしまう程の力が有ると言う事を学び、今回も又、自分の足りなさを、悟らせて頂く恵みが有りました。
「命を愛し、幸せな日々を過ごしたい人は、舌を制して、悪を言わず、唇を閉じて、偽りを語らず。」ペトロの手紙T。3章10節。 アーメン。
舌をコントロールし、残された人生の日々を、主人と共に、幸せに過ごす為にも、これからも御言葉を良く学び、信仰を持って、生活の中で実践して行きたいと思います。「祝福は身近に有り、それは何か良い事をするのではなく、御言葉を守ろうとする事で有る」と学びました。

「実に信仰は、聞く事により、しかも、キリストの言葉を聞くことによって始まるのです」
という御言葉を、しっかりと握り締めて行きたいと思います。
そしてこの素晴らしい、イエス様の愛を、まだ救われていない家族や友人が、一日も早く救われるよう、伝え続けて行きたいと思います。これで私の、証しとさせて頂きます。
有難うございました。
posted by YohanGrape at 22:15| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

主は我がすべて



主の愛がなければ、無に等しい。
そう強く感じさせるGospelソングです。

生で聞いたときは、圧巻でした。
posted by YohanGrape at 00:49| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする