多くの愛する兄弟姉妹の前で、証しをし、恵みを分かち合える、機会を与えて下さった主に感謝致します。
私が初めて教会に参りましたのは、クリスチャンになる為ではなく、牧師先生にお会いしたく参りました。ある日突然、教会へ通い始めた主人が、沢山の本を熱心に読んでいました。それを見て、私も興味を持ち読み始めたのですが。その中に、牧師先生の書かれた、「主は荒れ野で働かれる」という本が有りました。その本を読んだ私は、大変心打たれ、牧師先生にお会いしたいという衝動に駆られ、主人に頼み、教会に来たのです。
教会で牧師先生のメッセージを聞き、自分がこれまで、どれだけ隣人を裁いていたのか、そしてどれだけ高慢だったのか、と言う自分の罪性を悟る恵みがあり、これがきっかけで、2006年7月に洗礼を受け、救われました。でも私は、教会で、兄弟姉妹がよく口にしている、「恵まれました」という言葉を聞くたびに、恵まれたというのは一体どんな事なのだろうと思っていました。また、聖霊様の満たしとは何なのか、わからないまま教会に通っていました。教会の中では当たり前のように使われていますので、どうしても聞く事が出来ませんでした。
そんな時、受洗前に一度受講させて頂いた事のある「平信徒を目覚めさせよう」という勉強会が再び有る事を知り、参加させて頂きました。2006年11月の事でした。その勉強会の3日目に、私は不思議な体験を致しました。御言葉を学んでいる最中、突然、誰かに後ろから、ふわっと優しく抱きしめられたような感覚を受けたのです。暖かい温もりまで、はっきりと感じ取る事が出来ました。もちろん、その方は主人では有りませんでした。私は、初めて、御言葉による恵みと、聖霊様の満たしを体感する恵みが有ったのだと思いました。それからは、毎回欠かさず受講していますが、私たちを救う為、罪の全くないイエス様が、私達の罪を全て引き受け死んで下さった恵みに、今回も涙が出るほど感謝しました。又、先生方の口を通して、解き明かされる、御言葉の、一つ一つが、高慢な、私にとっては、胸に、突き刺さる思いが、致しました。
「舌は小さな器官ですが、大言壮語するのです。御覧なさい。どんなに小さな火でも大きい森を燃やしてしまう。」ヤコブの手紙3章5節。 アーメン。
体の中で最も小さい器官で有りながら、舌は人の運命をも変えてしまう程の力が有ると言う事を学び、今回も又、自分の足りなさを、悟らせて頂く恵みが有りました。
「命を愛し、幸せな日々を過ごしたい人は、舌を制して、悪を言わず、唇を閉じて、偽りを語らず。」ペトロの手紙T。3章10節。 アーメン。
舌をコントロールし、残された人生の日々を、主人と共に、幸せに過ごす為にも、これからも御言葉を良く学び、信仰を持って、生活の中で実践して行きたいと思います。「祝福は身近に有り、それは何か良い事をするのではなく、御言葉を守ろうとする事で有る」と学びました。
「実に信仰は、聞く事により、しかも、キリストの言葉を聞くことによって始まるのです」
という御言葉を、しっかりと握り締めて行きたいと思います。
そしてこの素晴らしい、イエス様の愛を、まだ救われていない家族や友人が、一日も早く救われるよう、伝え続けて行きたいと思います。これで私の、証しとさせて頂きます。
有難うございました。
posted by YohanGrape at 22:15|
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